会員インタビュー「銀座 このひと」VOL.25 銀座の文化を守るために  


高橋 泰三氏
「銀座きものギャラリー
泰三」
株式会社 染の聚楽
代表取締役社長

銀座で働く方々にお話を伺う 「銀座 このひと」

昭和22(1947)年、京都で高級京染呉服製造卸業「(株)染の聚楽」として先代・高橋泰三氏が創業。 長い伝統の中で育まれてきた京友禅の高度な技を持つ職人と共に切磋琢磨しながら、常に最高級のホンモノ志向の作品作りを続ける二代目 ・高橋泰三(本名洋文)氏。平成13年2月、高級呉服業界初のアンテナショップ「銀座きものギャラリー泰三」を開設。 ホームページでは独自の文化論を発信、銀座の文化と伝統を守るために闘う経営者である。

 

●京都から出店されたいきさつをお聞かせください。
 うちは京都の高級呉服製造卸しの会社ですが、日本橋の問屋や銀座にかつてあった「きしや」や「ちた和」などの得意先に卸していて、 東京でのシェアが大きく、親の代からいうと東京とのお付き合いは六十年位になります。 私は大学も慶応で、京都に戻って店を継いでからも東京を担当していましたので、東京には縁があったのですね。
かつて毎月の出張の折は銀座に来ますが、銀座でお買い物をする人はさすがにおしゃれで、日本の最高レベルの人が来ているし、 やはり銀座は違うなという思いはありました。

京都でもの作りをしているものとして、銀座で売れるというのは一種のステータスだったのです。
ただ、そのまま売れ続けていればよかったのですが、バブルが弾けて数年すると銀座での販売はだんだん下降してきて、 うちの得意先でも経営が危ないというのが見えていました。

ただ、うちのような高級呉服はいらないのかというと、まだ欲しい人はいると思いますし、得意先が無くなると作っていけなくなるわけです。 洋服の業界なら自分のショップを作って展開するが、なぜ着物業界でできないのか。価格戦略上難しい問題もありますが、 うちは東京でも相場ができているし、その問題もクリアできるので、「泰三」という名をブランドにして、得意先がなくなるのなら自分で店を出したいと思っていました。

 十五年前、東京で消費者や東京出身の家内の友人や知人を対象にして作品展を開催した時、何げなく小寺さん(八丁目、小寺商店)に立ち寄りアンテナショップの話をしました。 父は二十七年前に亡くなりましたが、父宛で小寺さんのDMが京都の会社によく来ていたので、そのことを話すと、まだお元気だった先代が父のことを思い出され、 ちょうど私が話したようなことを父が言っていたとおっしゃったのです。まだそんな時代ではなく、当時父はそんなことを一言も言ってなかったし卸売も好調で銀座に店を作る必要もなかったので、 これには驚きました。

 そんなことがあって、初めは麹町あたりにと考えていましたが、小寺さんのお世話でトントン拍子に今のこの店舗をお借りすることになって、二か月で急遽店の設計・施工をして開業しましたが、 それは忙しかったですねえ(笑)。

●銀座での経営は順調でしたか。
 当時はまだ取引先が銀座にあってそこからお客を取れないし、初めは暇でした。
それで、不特定多数の人に店の存在を知ってもらうためにすぐにホームページを立ち上げ、 更新を重ねるうちにブログも始めて少しずつ「ご縁」を広げていくようにしました。

 私は以前から日本の文化に対して危機感を持っているので、その中では単に店の宣伝だけではなく、 文化についての正論をガンガン言っています。 昔は着物を着るのが当然だったし、来て行く場所もあった。ところが、バブルが弾けた頃から文化に対する考え方が全く変わってきた。
旧家や名家が減って新しい富裕層が出てくるわけですが、日本伝統文化をご存じ無いので、当然着物文化も眼中にないわけです。 この仕事はお金だけのことを考えていてはできないし、上に立つ者が思いやりや優しさがないと文化そのものが崩壊してしまうなどと、 政治や経済を絡めて書くうちにお客様がぽつぽつお見えになり始めました。
反対に卸しの方がだめになっていったのは、既存の専門店が新しいお客層を開拓できなかったからです。

 かつてはT・P・Oやハレとケの装いの違いを皆さんご存じでしたが、それを知らない次の世代に向けて情報を発信しなければならないのですがね。 日本には古来の秀逸な文化がたくさんありますが、文化が低級化し、崩壊すると、もう何でもありでプロトコルが無くなってしまう。 着物文化にしてもいちばんそうしたことを守るべきところが守らなければ、日本の伝統というよりその国のアイデンティティがどんどん崩れていく。 それが嘆かわしいと言い続けています。

●今の銀座に対するお気持ちをお聞かせください。
 長い歴史の中で培われてきた銀座が、バブルが弾けて急激に変わりました。持ち主が代ったり倒産したりしたところもあるが、 どこでもいいからビル建てて貸せばいいとか、自分の仕事をやめちゃうとか、私が好きだった銀座が無茶苦茶変わってしまった。
今やっているのは貸しビル業ですよ。そしてどこでもいいから貸す。だから高級ブランドならまだしもファーストファッションだの回転ずしだのが入って来る。

単なるテナントの集合になったら、銀座って何でもありじゃないのか。世界的に見ても銀座は有名だけど、それなりの見識のある人から見ると、 単なるビジネスタウンで、まったく文化を感じないと言われてしまう。これからの銀座をどうするのか、このままいったら銀座はどうなるのかということですよね。

 最近、銀座の人から「泰三さん、頑張ってください」とか言われますが、反対に、銀座の人たちが銀座をどうしたいか問いたいですね。
文化を守るということに対する気概とか気骨といったものを、今の銀座にいる人たちが持ってほしいですね。

(取材・渡辺 利子)

 
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