会員インタビュー「銀座 このひと」VOL.9   明日に向かっ て進め!  


樋 口 淳一 
Higuchi Junichi


銀 座で働く方々にお話を伺う 「銀座 このひと」

昭 和13年(1938)銀座に洋画専門の映画館「全線座」を開館。以来70年、 映画館、ダンスホール、旅館、戸隠そば、画廊等を経て、現在不動産賃貸業(渋 谷、銀座、札幌全線座ビル)、ホテル業(銀座国際ホテル、札幌ガーランドホテ ル)経営の三代目社長・樋口淳一氏。現在の厳しい不況の中、柔軟な思考で事業 のあり方を見すえ、力強く進む事業家のおひとりである。

  銀座国際ホテルの建物の壁面に、「銀座全線座」のプレートが貼られていますね。全線座は往年の映画ファンに は忘れられない場所ですが、銀座全線座へはどんな思い出をお持ちですか。ゲスト写真  建物はとても懐かしいですね。昔、前はまだ汐留川だったんです。銀座ナインの所から水上バスが出ていて、ま だ幼かった頃に祖父(全線座創業者・樋口大祐氏)に乗せてもらったという思い出があります。全線座は面白い 建物で、中を探検したり(笑)、そんな感じで遊んでいました。
 全線座は昭和13年に開館しました。あの時代は、皆さん、外国に興味があった。そういう時代背景の中、映 画は洋画中心になりましたが、銀座で一風変わった建物で上映している、ということもあり、たくさんのファン の方に観ていただいたと聞いています。もっとも、映画をやっていたのは20年間ほどで、僕自身は昭和29年 生まれなので、映画も観ていたんですが、小さくてよく覚えていないんです。
 銀座全線座は昭和33年に閉館して、ダンスホールに様替わりしましたので、僕自身、印象があるのはそのダ ンスホールの方ですね。

多くの名画を上映した全線座を設立された初代のこと、当時の映画館経営のご苦労など、お聞かせください。

  初代は新潟で生まれ、十代で曽祖父と二人で東京へ出てきて、こちらの中学校を卒業するとすぐ弁士になりまし た。昔は活動写真といいまして、音声がないので、徳川夢声のような弁士がいたんですね。
 大正時代の話ですが、祖父も運よく出られるようになって、本名は樋口大祐ですが、「樋口旭琅」という名前 で、いろんな映画館の弁士をやっていました。 祖父は昭和2年に、アメリカの日本人のため、松竹の映画を 持って渡米しているんです。そこで成功したかどうかはわかりませんが、カルチャーショックを受けて日本に戻 り、映画館経営を始めたんです。初めは昭和5年、神ゲスト写真田の「南明座」という劇場で経営をしました。そこが 最初だと聞いています。
 映画館を建てたのは、早稲田全線座が第一号、ついで中野、目黒、そして昭和13年の銀座と続き、最後の渋 谷は31年です。祖父は53年に亡くなりましたが、どちらかというと一匹狼的な人でしたね。
 昭和13年に、祖父が銀座で映画を始めてから今年で71年になるのですが、大まかにいうと、私の父、先 代・樋口創一がダンスホールをやり、さらにホテル経営へと、事業内容は時代にあわせて変化してきましたが、 それらを含めての創業71年です。ただ、映画をやっている時に全線座の裏で樋口旅館をやっていたという時期 もあり、ダンスホール時代は同じところで「戸隠そば」を8年間やり、そのあと画廊をしていたりして、お客様 商売というのでは一貫していますが、本当にいろんなことをやらせてもらっての71年です。一つの暖簾を守っ て創業何十年という銀座の中では、異色といえば異色でしょうね。そんな中で父を見てきたので、いい時代ばか りではないという印象も強くて、銀座ってやっぱり波があって大変なんだなあ、というのがありました。

  映画館経営からなぜ貸しビル・ホテル業に転進されたのでしょうか。

  映画は渋谷全線座を昭和52年までやっていました。渋谷での最後の上映は、ポール・ニューマン、ロバート・ レッドフォードの「明日に向かって撃て!」だったんですが、「俺たちに明日はない」という映画と〈明日明日 シリーズ〉といっていまして、これは何度やってもお客様が来てくれました。この頃は楽しかったですね。 映 画もいい時ばかりではなく、戦争中や戦後の一時期、上映映画がないこともあり、劇団にお貸ししたり、軽音楽 大会をしたりして続けてきたんですが、父の代になって転業したのは、映画の不況や相続の問題もありました。 その頃、銀座と渋谷の再開発でビルの建て直しの話がありましたので、思い切って映画をやめたということで す。続けるというのも大変なんでしょうが、映画はうちには暖簾ゲスト写真でしたから、それはそれで勇気ある選択だったんだな あと、今この年齢になってわかってきましたね。

  どうして会社をお継ぎになられたのでしょうか。

  大学を卒業後、東急グループの旅行会社へ入社し、丸5年勤務しました。旅行や観光の仕事が好きなんです。で も、父の会社を継ぐということがありましたので、さすがにずっと、というわけにはいかなくて。その頃父の会 社はもう不動産の方で、ちょうど移り変わりの時でした。私が代表取締役に就いたのが平成9年。バブル崩壊 後、まだまだ金融情勢が不安定な時期でした。

  現在、銀座と札幌でホテル経営をされていますが、この仕事はお好きですか。

  昭和54年、再開発で銀座と渋谷を今のビルにしましたが、最初はホテルにお貸ししておりました。渋谷は東急 インさん。その頃からホテルとの関わりはありました。平成10年くらいですか、大手の金融機関が軒並み破綻 した時があって、銀座の場合はその時影響を受けたんです。厳しい状態でしたが、自分の持ちビルですし、ホテ ル運営にも関心があったので、ではやりましょうということになり、引き継いだんです。お陰様でいろんな人に 助けられ、今は順調に営業していますので、ありがたいな、と思っております。
 銀座のホテルは92室あり、一日平均100名近いお客様が泊まっていらっしゃることもあって、防犯や防火 など、安全面でもプレッシャーというか緊張感を持ってやっています。ホテル経営はいろんな要素があり面白い ので、仕事としては好きですね。

ゲスト写真  ご趣味は何ですか。

  スポーツはゴルフ、といいたいところですが、なかなか時間がなくて。 僕は焼き物、中でも古伊万里が好きで 集めています。初期伊万里と古九谷という分野ですがね。古九谷というのは九谷ではなくて伊万里(有田)で作 られたという説があり、以前から話題になっていますが、科学的にも実証されてきて、その有田で作られた古九 谷が好きで買ったり、ネットオークションでも、たまに掘り出し物を見つけたりしますね。アンティークの好き な人ってそうらしいんですが、九州の江戸時代の窯跡まで行っちゃうくらいですから、かなりです。(笑)
 この時代のものを扱っていると、誰が作ったかわからないけれど、もともと秀吉が文禄・慶長の役に、朝鮮半 島から陶工を連れてきて作らせたということもあり、絵文様の筆致や、器形に力強さを感じます。家内が美大を 出ているので、理解はありますね。二人で見に行ったり、あれがいい、これがいいってやってますよ(笑)。古 陶磁は先代も同じ趣味というか、好きだったですね。初代は絵が好きだったんですけど。

ゲスト写真  生活信条や、ご自分の中で大切になさっているのはどんなことですか。

  いろんな面で基本を大切にしたいと思っています。ホテルにしても、お客様に対する安心・安全ということがあ りますが、会社も社員たちがいますし、家族もあります。信条といっては当たり前すぎるかも知れませんが、そ れらの責任を果たすことでしょうか。
 そして、会社の継続ですね。初代・先代といろいろな事業をしていますので、三代目として継続することも大 切ですが、時代と共に成長するというか、変身する勇気を持って経営していく、この二つのバランスを取って やっていくことですね。

  これからどのような事業展開を計画されていますか。

  銀座では今のところ新しい計画は具体的にはありませんが、銀座国際ホテルのビルも築30年たちましたので、 将来的なスパンでそろそろ考える時期かな、というのがあります。また、うちは東京に集中していますので、で きれば東京以外にホテルを持ちたいと思っています。大阪とか京都とかね。今は時代的にも難しいのは難しいん です。今あるものを買うにしろ、新店を作るにしろ、それを経営していくにも労力を使うし、時間もかかります ね。

  仕事をする上で、いちばん大変なことはどんなことですか。

  やはり事業を継承するということですか。事業には所有と経営がありますが、どっちも大変です。継いでいくに は両方考えなければいけないんです。僕は五十代ですが、もう次の世代への継承を考えていかなくてはならな い。実際に、所有の問題は、事業と半々くらい考えてないといけないところにきていると思います。
 もちろん、本当の継承というのは「物」であり、「技」であり、「心」であるのでしょうが、現実には自社株 や、様々な税金の問題があります。これらは個人が負担するには大きすぎますよね。承継ビジネスという分野が できるくらい大変で、銀座の皆さんもそういう問題を持っていらっしゃるんじゃないでしょうか。
 また、銀座の土地は、そこから上がる収益に比べて高すぎると思います。外国の投資家の中にはまだまだ安い という人もいますが、実際に事業をなさっている方は、高すぎると思われているのではないでしょうか。

  樋口さんからご覧になった銀座は、どんなところでしょうか。

  ビジネスにとっては波が激しく厳しい面もありますが、それだけに、エネルギッシュで躍動感のある街だと 思います。古き良きものを伝え、なおかつ新しい方向性を見つけてきて今の銀座があると思うのです。
 これからどんな時代になり、銀座の魅力はどんなところかを踏まえ、若い人たちにとっても、もっともっ と憧れの街・夢のある街であり続けて欲しいと思います。

(取 材・渡辺 利子)

 

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